奥井義哉さんのこと
30年もの間、一緒に作品を作ってきた大事なスタッフが、脳内出血で倒れた。
奥井義哉さんという。
VE/音声さんだが、彼が来ると、現場の空気が本当に明るく変わった。つらい話を聞く時は、大粒の涙を落としながら、懸命にマイクのさおを握っていた。<音>に関してだけでなく、作品全体にも鋭い本質的な意見を言ってくれ、どれだけ助けられたことか。
そして何より、どこへ行っても、撮影相手の方たちから“愛される力”が、ずぬけていた。
倒れたのは、間接的なコロナの影響も大きい。、
彼の現在の容体や、仲間としてのお願いを、手分けして知り合いにメールで伝えた。FBでお伝えできる方、気づいて下さる方もいると思い、投稿します。
『お世話になっている皆様
少しつらいお知らせをしなければなりません。
私たちの大切な仲間である、奥井義哉さんが、4月24日、私、熊谷の自宅兼事務所で打合せ中に倒れ、緊急搬送をしましたが、結果的に、大事な脳幹部の血管が切れていました。朝からめまいが続く中、頑張って来て下さったと知りました。
今年の3・11の際、福島での撮影に数日おつき合いいただいたのですが、息切れもあり、いつもの動きではなく・・、その時から変調はあったのだと思います。
コロナ禍でフリーのVEさんは本当に仕事がなく、奥井さんも元々の高血圧に加え、体重も増加していました。様々なストレスがあったと想像しています。
救急車が来る15分くらいの間に、あっという間に容体が悪くなり、嘔吐し、耳が聞こえなくなり、片側の顔面麻痺に手足がしびれ、血圧は190ありました。
救急車の中で意識不明になる中、やっとお母さまの携帯番号だけを確認し、救急隊員が連絡できました。
ご実家は伊豆の下田ですが、埼玉県にいらっしゃるご親戚夫妻が駆けつけて下さいました。
近々の仕事関係者には、脳内出血で倒れたために仕事は受けられない旨、私とその時一緒にいたスタッフが、わかる範囲で連絡いたしました。
もし、他に心当たりの方がいらっしゃれば、是非この「お知らせ」を回覧下さるようお願いいたします。
現在は、気管切開をし、人工呼吸器をつけて、薬で治療を続けている状態です。
依然、コミュ二ケーションはとれないのですが、5月11日、ICUから一般病棟へ移ることができました。
知らせを聞いた方たちから、せめて自分たちの気持としてお見舞金を届けたいがどうしたらいいのか、という問合せをいただきました。
ご存じのように、今はコロナ禍でお見舞いもままなりませんので、お母様やご親族の意思も大事にしながら、以下のようにさせていただきたく思います。
〇お見舞い金振込先
みずほ銀行 荻窪支店 普通2471277 名義 オフィス熊谷
空いていた口座があり、この目的のために使用いたします。
〇お見舞い金を振り込まれた方、メッセージを届けたい方、下記のアドレス宛メールをお送り願います。
佐々木正明 smasaaki@jca.apc.org
通帳ではカタカナしかわからないので、お名前、所属先、ご関係など
明記をお願いします。責任をもってお伝えします。
奥井さんには本当にお世話になりました。
多くの方たちが、奥井さんの人柄、技術、作品への思い、明るい笑顔に支えられ、助けられてきました。
仲間として、できるだけのことをしたいと考えています。
どうぞよろしくお願いいたします。
2021年5月17日
熊谷博子 』
最近は、少人数でロケに行くことも多く、彼に撮影を頼むこともあった。
1枚目の写真は、2016年、アフリカのルワンダで。お祭り大好きで、あちこちで神輿を担いでいた奥井さんは、子どもたちを喜ばせるため、その衣装に着替え、サッカーをする姿を追った。
そして今年の3月11日、福島県双葉町の海岸で。
視線の先には、福島第一原発がある。
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