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読みものアーカイブ

雑誌や書籍に掲載された原稿

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『ひとびとの精神史 第3巻 六〇年安保 1960年前後』

岩波書店

2015年

松尾蕙虹(まつお・けいこう) 1931- 福岡県大牟田市生まれ。同市の三井三池炭鉱で、1963年に起きた炭塵(たんじん)爆発事故は、戦後最大・最悪の労働災害だった。脳をやられてCO(一酸化炭素)中毒になった夫は、性格が変わって暴力をふるうようになり、もの忘れもひどく、子どものようになった。妻と母の...続きを読む

『世界』

(岩波書店)

2001年5月号

掲載

彼女たちの言葉ができない私は、気持ちを伝えるために、ただ近寄って、涙を浮かべてじっと抱きしめるほかなかった。ありがとう、というのでも、わざわざ日本に来てつらい事実を証言してくれてというのでもない、その心と身体でよくぞここまで生きていてくれた、という、何とも言いようのない感謝の思いであった。きっとこの...続きを読む

『世界』

(岩波書店)

1999年5月号

掲載

「私はやられるものなんだ」一人娘が、昨年4月から小学生になった。入学そうそういやな話を聞いた。学童保育から帰る女の子が、180センチくらいある30前後の男に後をつけられ、そのまま家に入り込まれてレイプされたという。学童保育だから、一番大きくても小学校4年生だ。実は私にもいやな思い出がある。今でもよく...続きを読む

『世界』

​(岩波書店)

1992年5月

​掲載

アフガニスタン国境に近い、パキスタンの町、ペシャワール。女たちは国境を越え、また遠くの難民キャンプからこの小児病院にやって来る。頭から足まですっぽりおおい、外からは決して顔の見えないチャドリをまとって。アフガン人ドクターにすがる思いで赤ん坊見せる。黄土色にパンパンに腫れたおなかと、骨のつき出たやせた...続きを読む

『週刊プレイボーイ』

1991年4月2日

​掲載

世界の難民の4割を生んだアフガン戦争 後遺症深い、国境地帯を行く 撤退完了から2年、いまだ続く 見えない戦争。きびしい報道規制や検閲の中で、私たちは湾岸戦争を見た気になっていた。でも果たしてあれが、戦争の真の姿だったのか。2年前、ソ連軍がアフガニスタンから撤退を完了した時、これで平和になると喜んだ。しかし...続きを読む

月刊現代

(講談社)

1990年5月号

掲載

組合幹部、新聞社勤務、自民党員などと前職はさまざま。いまだテロを肯定する体質も残しながら、新左翼との接点を探る新しい動きも出てきた。変貌する12万人はどこへ行くのか 長崎ー過激な集団の行動原理 正気塾の本部で、私はたった一人、皆が帰って来るのを待っていた。にぎやかな長崎の市内からはずれた、三川町の川べり。...続きを読む

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