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菊畑茂久馬さんのこと

 菊畑茂久馬(きくはた・もくま)さんが、先月亡くなった。85歳。日本を代表する現代美術家の一人だった。私は今、心にポッカリ空洞があいた感じでいる。  インタビューをさせていただいたのは、7年前。その絵と日記が、日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録された筑豊炭田の元炭坑夫、山本作兵衛をめぐって、だった。  事前の私の認識は、菊畑茂久馬さんは著名な前衛画家であり、作兵衛さんの絵を世に出すのに力を尽くした人、というものであった。  素敵な方だった。話を聞いて大きな衝撃を受けた。作兵衛さんの絵と出会ってから、自分の絵が描けなくなってしまった。そして20年間、1枚も描かなかった、という。そこまで自分の表現と人生に向き合い、正直に真摯になれるものなのか。  引き合わせたのは、記録作家の上野英信。不思議な絵を大量に預かっているので見てくれないかと、呼ばれた。大きな風呂敷包みの中に、炭坑の労働や生活を描いた約300枚の墨画が入っていた。  菊畑さんは当時29歳。連作『ルーレット』を発表し、海外でも評価された新進気鋭の画家だった。作風も、作兵衛さんとはまるで違う。当時の作兵衛さんは、名もない一人の元炭坑夫だ。いくらでも無視できたはずだ。  「下手と言ったら下手で、稚拙すぎると言えばすぎる。でも、たまらんのですよ。人間が余計な物ばっかり持って絵を描いているのに、本当に絵を描きたくて、不純物が全然ないまま描いているから・・・。じっと見ていたら涙が出てきた。作兵衛さんというのが、僕の画業の前に仁王さまみたいに立ちふさがった。」  自分の人生と労働をまるごと描いた絵の背景に、作兵衛さんの大海原のような痛切な気持を感じとった。でも一言も文句を言ったり威張ったりしない、黙っておかしなことばっかり言うおじいさんでした、と。  作兵衛さんの人柄にも惹かれたのだろう。幼い頃から炭坑で働き、小学校もろくに行くことができず、専門的な絵の教育は一切受けていない。60代半ばから本格的に絵筆をとり、2000枚とも言われる絵を残した。茂久馬さんも15歳で天涯孤独の身となり、絵は独学だ。百貨店で楽焼の皿に絵を描いていた。そんな思いも重なったのだと想像はできる。  にしても20年は長い。画家として油が乗り切るはずの30代から40代だ。その間、オブジェなどは作っている。  東京の「美学校」で教えた時は、生徒たちに1年がかりで、作兵衛さんの絵を模写させた。高さ2.6メートルの巨大なキャンバスに、作兵衛さんが描いた炭坑の労働や生活がぎっしりつまる。それが9枚。並べると、長さ18メートルの大壁画だ。菊畑さん30代半ば。  46歳の時、自らが編集した作兵衛さんの伝説的な画集「王国と闇」を世に送り出す。  そして48歳、20年間の沈黙を破り、大作の『天動説』シリーズを発表。その後は、精力的に大作シリーズを発表し、5年前には、新作の個展も開いている。

 作兵衛さんを唯一の師、と呼び、美術界でただ一人、画家としての作兵衛さんを評価し続けた。愛おしそうに作兵衛さんとその絵のことを語る茂久馬さんは、まるで10代の少年のようだった。でも作兵衛さんとは一度も絵の話をしたことはなかったそうだ。  東京やパリやニューヨークに出ていくことなく、福岡の地で創作活動を続けた。

 インタビューが終わって、私は言われた。カメラの三脚が立ったら、あなたの顔つきも雰囲気も変わりましたよ。僕も、いよいよ始まるんだな、真剣勝負だと思いましたよ。  一昨年秋、やっと映画『作兵衛さんと日本を掘る』が完成した頃には、残念ながら体調を壊され、その後は、お電話とお手紙だけのお付き合いになってしまった。今年いただいた自筆の年賀状にも、以前のような旺盛な創作活動に戻れないもどかしさが伝わってきた。

 茂久馬さんが亡くなり、今改めて、“20年の沈黙”の意味を考えている。  誰しも、自分の作った作品に反省をしながら次へ行く。  それをどれだけ真摯にやれるかが、問われるのだろうと。

 写真はインタビュー中の菊畑さん、自分が編集した「王国と闇」に見入る菊畑さん、連作「ルーレット」の1枚、作兵衛さんの絵の1枚、20年の沈黙をやぶった連作「天動説」の1枚である。菊畑さんの作品は、「菊畑茂久馬展」のカタログからだ。そして、福岡市博物館展示時の「大壁画」。


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