少し前になるが、とある集会で見せたいと思い、タンスの奥から、アフガニスタンで買ったブルカを引っ張りだした。頭から足元まですっぽりおおい、顔の部分が網目になっている、あの衣装である。
『よみがえれカレーズ』(1989年)の撮影で土本典昭さんたちと長期滞在していた時だから、もう35年前のものだ。時々出しては、大事にしまっていたので、カビも虫もついていない。その後、洗濯もしていないから、アフガニスタンの乾いた空気と土の感触が今も残っている。
久々に着てみた。実はアフガニスタン国内にいた時は、何度か着ていた。
アフガン女性への抑圧の象徴のように言われていたが、その当時は、私はなかなかに便利なものだと感じた。私の方からは外は見えるが、外部からは誰なのかわからない。小さな隠れ家の中にいるような、安心感を覚えた。旧ソ連軍の撤退が始まった年であり、当時の政府側に対するロケット弾の激しい攻撃もあったが、国外にいた難民が戻ってきたり、町には比較的自由な雰囲気もあった。
タリバーンの台頭する前である。まだバーミヤンの巨大石仏も、彼らの手で破壊されてはいない。
今回久しぶりに着てみて気づいた。
アフガニスタンにいた時は、外がしっかり見えると思っていたが、意外に見えない。網目もかぶるし、見えるのは正面だけで視界は限られる。もしかしたら私も、女性は家の外へ出る時は頭から足元までおおうべし、という慣習に影響されていたのだろうか。
首都のカーブルでは、スカーフだけの女性も見かけたが、地方都市では、色は違うが、皆このブルカで身体をおおっていた。
私は自分の勝手で着ていたが、強制されたらはたまらない、と改めて思った。
さすがに外での着用はためらわれて、部屋の中ではあったが、前面の布をあげた時の風景は、まるで違っていた。
一番強く感じたこと。見えるもの、見ないものはむろんあるが、見ようとしないものがたくさんある、のではないか。
ジャニーズ事件なんて、その典型だし、他にも限りなくある。
プリーツをそろえ、ブルカを元通りにしまいながら、“見ようとしない人”にはならないぞ、と思った。
こういうことを書いたのも、実は10年近く、瀬戸内海にあるハンセン病療養所、長島愛生園に暮らす、とても素敵なご夫婦の生き様を撮ってきた。やっと完成し、来年3月、公開になるからだ。
お二人が、様々な制限のある中で、どれだけの見ようとする意志をと力を、長い間持ち続けてきたのかを、ひしひしと感じている。
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